古来、祭りの際や神社に参拝するときには「禊」を行います。
「禊」とは身体を洗い流して、身についた罪穢を除き清めることを言います。
古代の神話でイザナギノミコトは、妻のイザナミノミコトをこの世に呼び戻そうして黄泉国(よもつくに)に赴かれます。死者の国であり、大変に穢れた場所であった黄泉国から帰った時、イザナギノミコトはアワギハラにて清浄な水に入り、その身を清めたとされます。これが「禊」の起源と言われています。
昔は、神社のそばの池や川などで禊をしてから参拝に臨んでいたようです。しかし、現代では、「禊」を簡略化したものである手水(てみず・ちょうず)を行うのが一般的です。
手水舎は、だいたい神社の社殿へ続く参道の途中にあります。
そこに至れば、まず軽く一礼します。次に手を清めます。
次には手の平で水を受けて口を漱ぎます。そして、もう一度手を清める。
最後にまた軽く一礼する。これが手順です。
神社参拝にはいろんな手順があり、作法があります。それらをきちんと出来ることは大切なことなのです。
そもそも神社における作法等は、まず神様を敬う心があって、そこを出発点にして、長い年月をかけて出来上がって来たものです。
作法をきちんとやる事によって、神様を敬う心が出来てくる、あるいは、そういう心が成熟して来るなどという事もあるのです。
手水は禊を簡略化したものですが、意味合いとしては全く変わりはありません。
手水は、我々が神様に親しく会うための大切な準備なのです。
日本人は本来きれい好きです。そして当然、日本の神様も清浄を好まれるのです。
手水を使うことを「手水をとる」とも言います。
「手水をとる」時には、心をも洗い清める。心身を清々しくする事で神様に会う準備が出来上がるのです。